08年09月某日。
一寸所用でお出掛けして、その用事が終わった後の帰り、なんとなくぶらりと高速を降りちゃいまして……
でなんとなく有賀峠(通った後にそこが有賀峠と気が付いた)を越えて諏訪高島城の看板が見えたので寄ってきました。
9月なのに冗談抜きでクソが付く位寒くて震えながらの登城です。
ガラッガラで人が面白い程居ず、その数少ない城にいた人達も上着をがっつり着込んだ格好でいたという恐ろしい思い出。
諏訪湖沿いの道から一寸入ったらもうすぐに高島城がありました。


駐車場から見上げた高島城天守。
なんかウロ記憶&勝手な思い込みイメージで高島城って黒!って思いこんでいたけど黒じゃない。
あとで改めて家の本に載ってた写真みたら黒くなかった。
松本城に脳内侵食されてでもいたのだろうか……

そんなこんなでわくわくしながら足を進めたら、


07年大河(とかいて「おれたち」と読む)の旅はまだまだこれからだ!
主人公死んだ?うん、大丈夫、南原版がある!(笑)
旦那の信玄差し置いて勘助とツーショット由布姫です。
見付けた瞬間に吹いてしまいました申し訳ない……
そして顔をはめる勇気はありませんでした申し訳ない……(笑)
草に隠れて見づらいのですが、下には「由布姫ゆかりの地 高島城」とあります。
でも実際は由布姫はここにいなかったという事実が発覚。
高島城と呼ばれるお城は二つあって、由布姫の時代にはこの今の高島城は存在しておらず、もう一つの高島城(高島城の北東の諏訪湖近くの段丘(茶臼山))にいたんじゃないかとか。
そっちの旧高島城は天文18年(1549)に山本勘助が鍬立して、元の諏訪の拠点・上原城から移して武田時代の拠点になっていたそうで。
でも大河だったり映画版だったりドラマ版だったりなんか映像イメージでどうしても諏訪の湖岸にいるイメージありますよね。
しかし諏訪湖だけでなく諏訪を一望出来る場所にいたっていうのもなんかいいな萌える。


天守閣ー!勿論新しく建て直し(昭和45年(1970))で鉄筋コンクリートだそうで。
でも外観は古写真を元に復元したとか、素晴らしい!
普通お城は瓦葺が一般らしいけど、高島城は柿葺(檜の薄い板で葺いた)。
で、この現在の高島城は家康の関東移封後に諏訪に入った日根野高吉が建てたとか。
諏訪湖の浮島を利用して作った水城で、「諏訪の浮城」と呼ばれていたけど江戸期に諏訪湖の水位を下げた時に切り離されたようで。周囲が陸地化。
諏訪湖の波が城の石垣に迫り……と説明看板にあったので、つまり私がきた道は築城当時はなくて諏訪湖だったって事ですね!


近付いてアップ。
中で色々展示物見て、展望する所で景色見て、城内をあるいてみました。


諏訪護国神社。
隣に小さな遊園地があって小学生男児がカードゲームでバトルってました。
ですぐ近くに


霧の川中島のせいでトイレが気になるようになってしまって、ついついトイレをぱちり。
浮城手水庵!
本当にトイレに命名するの面白くてたまらない!
だが霧の川中島越えは出来なかった!


違う位置から見えた天守をぱちり。


掘と石垣。
石垣は本丸正面と東側は規模が大きいけど他は簡単なもので、その他は小規模。
稜線の所は加工した石を使っているという説明を見てから改めて天守の石垣みて、「おお!」と思いました。
見てる時はなんとなく見てても改めて説明と一緒に見直してみると凄く納得する(勢いまましか見て無い事がばれる発言)
地盤が軟弱だから沈下しないように大木で組んだ筏の上に石垣をつんでいるんだって。
んで、大手門以南の地形はおおよそ昔のままの姿を残している……
あれ?待て待て待て、大手門なんか入った時通ってないよ?

--NEXT--→