龍光院を出発し、次は流鏑馬の史跡が残っているという所へ。 ナイスな所に停車している車がいて…… どうしても向こう側を写るようにしたかったんで、ここは申し訳ないと思いつつ。 この鳥居から続いている道がそうなのですが、昔流鏑馬で使用されていた道。 その先には この塩野神社。 07年大河の名残りの観光用風林火山の旗が(笑) さっきの鳥居から参道の先に見えるあの鳥居までが流鏑馬で使われていたそうですよ。 右側にちょこちょこと的(流石に当時のではないけれど)がありました。 説明には平安から鎌倉時代とあり、木曾義仲の平家討伐軍の中にいた手塚光盛の名前がありました。 その手塚一族の盛澄という方がこの流鏑馬の名人だったようで。 ん。あれ、手塚ってここらへん出身だったんですね? 私てっきり諏訪方面だと思ってました。 その鳥居に近付いてみる。 おや、橋があるよ。 橋の下は川?沢かな?で綺麗な水が流れてました。 この神社は信玄や昌幸、信幸が信仰していて、その古文書が残っているようですぞ。 そんなに建物的には大きくないけれど、不思議な迫力がありました。 なんかいいですね、好きだな塩野神社。 次は塩野神社のすぐ近くにある中禅寺。 中禅寺の本堂ですね。 ここにも多くの古い時代のものがありました。 ここには載せてないのですが、立派な石造の五輪塔もありました。 詳細は不明とあったのですが、それは上田市内にある五輪塔の中でも比較的古い時期のもので、もっとも形が整っているとか。 誰かのお墓なのか、それとも供養塔なのか…… 奥に入ると薬師堂がありますが、その手前仁王門がありました。 その仁王門に一対の金剛力士像があったのですが、これは県宝とのこと。 はじめは江戸時代に造られたみたいな事を言われていたらしいのですが、実際調べてみたら平安後期(12世紀末頃)に造られた事が判明したそうで。 この時代に造られた金剛力士像は全国的にも数が少ないとか。 平安時代塩田地方は文化的にも政治的にも都と深い関係があったという発見になった凄い像! そしてこれが国指定重文の薬師堂ですね! これは平安時代末〜鎌倉時代初期に建立されたもので、県内最古の建物どころか中部日本最古の建物。 そしてこの薬師堂の中にも国指定重文の薬師如来坐像、木造神将立像があります。 前者は鎌倉初期頃、後者は南北朝末期頃に制作されたといわれているとか。 で、この薬師堂の裏手に五輪塔がありました。 --NEXT--→ |